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大人の事情で紙面に載せられなかったあんなことやこんなこと、ここだけの話で特別に大公開しちゃいます!TELSTAR+、今回の内容は?

「全部みせます!アルマ望遠鏡インタビュー!!前編」

1号のメインテーマであるアルマ望遠鏡記事を制作するにあたり、プロジェクトに携わっていた方々に突撃取材をさせていただきました。

しかし!

本誌ではページの関係上泣く泣くカットに……
「実は本当に書きたかったのはこっちなんだよ……」(記者談)

ということで、今回はJAXA阪本先生へのインタビュー内容を、そのまんま!お届けいたします。
阪本先生と宇宙、その出会いとかける思い。
とくとご覧ください。

 

-まず始めに、先生はどのようなことをなさっているのでしょうか。

科学者としての原点は電波天文学です。僕は特にミリ波・サブミリ波という、電波の中でも一番波長の短い電波で宇宙を調べています。
星間分子雲という宇宙の雲(星になるタネ)を観測し、そのタネがどうやって星になっていくのかを調べることが専門です。
今は宇宙科学の広報と普及、地域との連携などの渉外をしています。

-アルマにはいつごろから関わっておられたのですか?

最初からです。ALMAになる前の、日本単独でLMA(大型ミリ波干渉計)と呼んでいたころから。研究員の頃から検討に加わり、1997年に助手として採用されてからはほぼ専任になりました。

-アルマに関わって大変だったことはありますか?

アルマで大変だったことはいくつかありますね。
お金を取ること、国際調整、それから望遠鏡を作ることです。
国際調整の何が難しいかというと、プロジェクトに関わる上でお金をもっていない奴ははっきり言ってどうでもいい。でしょ?

-はい(笑)

で、僕らはお金を持っていなかった。

最初日本とアメリカがこの計画を進めていたんです。場所もこの辺に作るかってやっていたんですけど、
予算が上手く取れなくて。
まあ予算が取れなかったというか政府としてはアメリカの出方を伺っていた。
これまでに散々アメリカに翻弄されていたからです。

そのことがあって政府も腰が引けてしまっていて、とりあえず様子を見ますよ、と。
そうしたらその間にアメリカとヨーロッパが先にくっついてしまったんです。

-日本が出遅れてしまったわけですね。

はい、日本も参加しようとなった時には2者の間に入るという形を取らざるを得なくなってしまったんです。
で、これが結構大変で、要は2者でスタートしかけている所に日本がお金をあまり持っていない状態で「入れてー」
って言っても向こうとしては「え?だってこの前声かけたじゃん?」なわけですよ。
なんとか参加はできたんですが、最低限必要な部分はアメリカとヨーロッパでやりますよ、
日本はオプションを足してねと、そんな感じになってしまったんです。

それとそもそもの構造として3角関係なわけです。こんな不安定な構図はないですよね。
必ず揉めた時に2対1になってしまう。
で、その時にどう別れるかというと、まあ普通に考えて、日本が後から入ってきたことや、文化的な背景もあって、アメリカ、ヨーロッパ対日本のようになってしまう。
そこで僕らは僕らでちゃんとロジカルに主張しないといけない。で、アメリカはわりとヤンチャ坊主と言うか、悪気はないんだけど自分の都合を押し付けてきたり、
ふっかけてきたりする。ヨーロッパは老獪で、ヨーロッパの中で散々議論したものを出してくる。

結局どうしたかというと、われわれもヨーロッパ的に、相手の事情も勘案しながら落としどころを探ることにしました。要はお互いの都合だけを主張していても上手くいかないので極力フェアな交渉をしましたね。
筋が通っていない主張は、別の局面で自分の首を絞めることになる。交渉にルールを作り、それをフェアに運用する。そこが、2対1を打破した所ですね。
ぶれずに戦い続けたことが信頼関係を築けた要因かなと思います。
結果、今では日本もアルマの重要な部分を担うことができています。

-先生はアルマに関して交渉してきたと思うのですが、その交渉力はどうやって身に着けたのですか?

交渉力は・・・どうやってだろうね、これは人の性格によるのかもしれないね。
例えば典型的な日本人タイプの人だと、「じゃあその一件は持ち帰って検討します」って言っちゃうんだけど、
明らかに無理な案件もそう言ってしまうんです。

でもそんなのは持ち帰ったところで結論は変わらない。
だったらそれはその場でNOと言わないとダメだと思うんです。
交渉の場では僕が脇でNO!と言っていましたね、いやこれ持ち帰る余地ないよね?NO!って(笑)

NOと言えるかどうかが性格によるところになっちゃうのかな。
でもなんで僕はNOが言えるようになってしまったんだろう・・・。

-先生が電波天文学をやりたいと思ったきっかけって何ですか?

天文の分野を選んだのは中学3年生の時、学校の先生に見せてもらった『コスモス』というテレビ番組がきっかけでした。
そして大学に進学し、今の専門を選ぶわけですが、普通ではないことがやりたいと思い今の専門を選びましたね。

-未知の分野に挑戦して行きたかったと

ええ。僕にはその方が合っていましたね。

-現地のアタカマ高地で印象に残っていることはありますか?

とにかく星が綺麗です。見えすぎてしまうので星と星を繋げて星座にするっていうことが出来ないんです。

-見えすぎてしまう、ですか

ええ、空一面に。

-おおお

そのため向こうでは星ではなく空の黒く見える部分を繋げて星座にしているんですよ。
星に関しては色々あって、“星影”なんかもできますね、星の光で影ができるんです。

-星が見えすぎて星影ができる、想像もできないです・・・

あとは、毎日曇って見える所があったんです。毎日晴れているはずなのに何でここだけ曇っているのかな、と思ったら実はそれはマゼラン雲で、僕天文学者のくせに知らなくて
「何言ってんだお前、あれはマゼラン雲だろ」っていわれてしまいましたね(笑)

-先生は高校時代どのように過ごしていたんですか?

僕の高校時代は不毛で、不毛って言ったらなんだけど。
あんまり学んでいなかったなー、どうしてたことにすればいい?(笑)

-ありのままでお願いします(笑)

本当に真面目に学んでなかったんだよね。
ただ今思うと過ごす上で重要なのは、ライバルを見つけて競い合うんです。
競い合うって事が重要なのかなって思いますね。

-先生のような研究者になるためには学生時代をどう過ごしたらいいのでしょうか。

僕みたいになるべきかどうかはわからないけど、研究者になるにはやっぱりそれなりに勉強は必要だよね。
あとは結局体力なんじゃないかって思いますね。
この世の研究者は寝ないからね・・・。

あ、僕は寝るけどね。(笑)
〜後編に続く〜

いかがでしたでしょうか?
最後の一言からも、阪本先生のキャラクターが伺えた内容だったのではないかと思います。
研究者は体育会系なのでしょうか……
因みにTELSTARのメンバーも寝ずに記事を書きます。気合の入った体育会系です。

今回はこの辺で。
次回、全部みせます!アルマ望遠鏡インタビュー!!後編もお楽しみに!