映画『ガガーリン 世界を変えた108分』公開記念連載 第三回「米ソ宇宙開発競争」
(c)2013. Kremlin Films. All Rights Reserved
TELSTARの土谷です。
第二回では、世界初の人工衛星打上げの舞台裏を追いました。第三回では、スプートニクショックで揺れるアメリカと、有人宇宙探査とその後の宇宙開発を説明していきます。
アメリカは宇宙開発においてソ連に先を越されることはないと考えていました。しかし、1957年、ソ連は世界初の人工衛星であるスプートニク1号の打上げに成功しました。その打上げの二か月後、アメリカも衛星の打上げに臨みましたが失敗していまいます。
ソ連にコロリョフがいたように、アメリカにはフォン・ブラウンというドイツから渡ってきた技術者がいました。彼は、世界初の大陸横断ミサイルであるV-2ロケットの開発者です。
当時のアメリカは体制が整っておらず、陸・海・空軍がバラバラに宇宙開発に挑み、互いに争っていました。フォン・ブラウンもこの問題を指摘しました。
何とかしなくてはならないとして、1958年にアメリカは人工衛星「エクスプローラー1号」の打上げに成功した後、同年にNASAを設立します。 スプートニクショックをきっかけにNASAが生まれ、宇宙開発競争は激化していきます。
ソ連は1957年の犬のライカを乗せたスプートニク2号の打上げ後、十数匹の犬を宇宙に送ったと言われています。これは、有人宇宙飛行においてもアメリカにリードするための準備でした。
そして、その打上げから4年後の1961年、ソ連はこの映画の主人公であるガガーリンを乗せたボストーク1号で世界初の宇宙飛行を成功させます。(この詳細については是非映画をご覧下さい!)
ガガーリンを乗せたボストーク1号 (c)2013. Kremlin Films. All Rights Reserved
ボストーク1号の打上げ成功から約一か月後、アメリカも後のアポロ計画で月に降り立つことになるアラン・シェパードを乗せた、マーキュリー3号の宇宙飛行に成功します。
しかし、ガガーリンの飛行が108分だったのに対してシェパードは約15分の飛行でした。この時はまだ、アメリカとソ連には技術の差があったのです。
その後、ソ連の宇宙開発は更に進んでいきます。1961年に映画でも登場していたゲルマン・チトフ宇宙飛行士が25時間の宇宙飛行を達成し、1965年にアレクセイ・レオーノフが世界初の宇宙遊泳を成し遂げます。二人はガガーリンとともにソ連最初の宇宙飛行士候補の20人に選ばれていました。
順調に見えたソ連の宇宙開発でしたが、主導してきたコロリョフが1966年に急死してしまいます。この死もあってか、月探査においてソ連はアメリカに追い抜かれる形になりました。
アメリカのフォン・ブラウンは人工衛星、有人宇宙飛行でソ連に先を越され悔しがっていましたが、彼はアポロ計画を率い、月面に人類を送りこむことに成功しました。
第三回の連載はここまでです。ひとまず、この連載も今回で終了です。映画の中身についてはなるべく触れないようにし、映画を観ただけではわからない部分を記事として書かせて頂きました。少しでも読んで下さった皆様の為になりましたら幸いです。
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連載第一回から第三回までの参考文献:
的川泰宜(2005)『逆転の翼 ペンシルロケット物語』新日本出版社
マシュー・ブレジンスキー(2009)『レッドムーンショック』NHK出版
佐藤靖(2014)『NASA ―宇宙開発の60年』中央公論新社
『ガガーリン 世界を変えた108分』
http://gagarin.jp/
監督:パヴェル・パルホメンコ 製作:オレグ・カペネツ 脚本:オレグ・カペネツ、アンドレイ・ドミトリエフ
撮影:アントン・アントノフ 音楽:ジョージ・カリス
出演:ヤロスラフ・ジャルニン、ミハイル・フィリポフ、オルガ・イワノワ、ウラジミール・ステクロフ、ヴィクトル・プロスクリン
2013年/ロシア/ロシア語/113分/カラー/ビスタ
原題:Гагарин. Первый в космос 英題:GAGARIN: FIRST IN SPACE
提供:ミッドシップ、シンカ 配給:ミッドシップ
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